いつから、ルールを無視するようになったのか

ここでは、約束や慣習、法律など幅広くをルールとして述べる。

 

最近、停車している車列をすり抜けて対向車線を走っていた車にはねられた事故が起きた。

はねられた子はたしか命を落とした。

 

この事故の原因はなんだろうか?

対向車線を走っていた車だろうか。

停車していた車列の車が警告しなかったことか。

 

多分、だいたいは車列をすり抜けた子どもに原因があると考えるはずだ。

 

しかし、なぜ子どもは横断歩道のないところを渡ったのだろうか?

 

横断歩道のないところを渡る大人を見ていたからではないか?

たしか法律上、どこを渡ってもいいはずだった。

しかし、慣習上、横断歩道でのみ車道を横断することになっていた。

 

なぜ、ルールを無視するのか?

 

触法の例で考えよう。

 

20歳まで飲酒をしたことがない人は何人いるだろう。

未成年者飲酒禁止法で飲酒者には罰則はなかったはず。

しかし、与えた側にはあったはずだ。

 

また、車を運転したことがある人の中で、信号が青になり、前方が空いているにもかかわらず、前の車が動かない時クラクションを鳴らしたことがある人はどのくらいだろう。

危険喚起の場合のみ、クラクションが使えたはずだ。

 

そして、規制速度を守っている人はどのくらいだろう。原付は30km/h

 

多分、ここまでの例であてはまらなかった人が極少数ではないだろうか。

 

なぜ、ルールを無視するのか?

 

 

なぜ、そこにそのルールが存在しているのかがわかれば、ルールを無視しなくなるはずだ。

 

 

もう一度問う、なぜルールを無視するのか?

 

 

いじられキャラの記事を読んで

記事を読んで考えたことを書いています。また、講義で提出したレポートの抜粋の内容です。

 

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心理学の講義で、いじられキャラの記事を読んだ。

 

いじられキャラはつらいらしい。

 

でも、よくよく読んで行くと全ての原因はいじられキャラにあると思った。

 

まず、なぜいじられキャラになったのだろうか?きっかけが必ずどこかにあるのではないのか?

高校生デビューなど自分の幼さが原因ではないのだろうか。そして、その尻拭いでいじられキャラはつらいなどふざけたことを言うな。

 

次に、いじられキャラでずっとつらかったのだろうか?

感情は比較して感じるものだから、ずっとつらかったことはないだろう。楽しかったときはあったはずだ。

良い事と悪い事が繰り返し来るように、今は悪い期間ではないか。ただ、そこから逃避したいだけではないか。

 

最後に、いじられキャラをやめたいのにやめられない理由は自分にあるのではないのか?

離脱できるコミュニティたっだら嫌だと言えるが、学校生活などは致命的とはどういうことなのか?学校生活自体、色々のグループに分かれているから離脱できるコミュニティのはずではないか。

また、孤立しないためにいじられキャラになっているとあるが、いじられキャラの時点でほかの人達から孤立しているのではないか。

 

なぜ嫌なのに、イジリに反応する必要があるのか?色々な方向から物事を見れば気付けるよ。

 

 

このレポートを提出して、可をもらいました。

運転免許証1

自分は身分証として免許証が欲しかった。

運転はもしかしたらするかもくらいで考えていた。

自動車学校では、手引き通りの実習と座学だった。

免許センターでは、二択の問題を解いて、免許証を発行してくれた。

日常生活で運転するにあたり、必要になるのは、バックの駐車。

でも、自動車学校では吊るしてあるポールを基準に広いスペースに入れた。

こんな練習しかしていないのに、免許証を与えていいのだろうか?

今は、スーパーとかでも遠い駐車場に頭から突っ込み、頭から出られるように駐車している。

また、実家の駐車場から出るのはバックでしかないので、10分くらいかけてやってる。

基本技術を身につけたら、実生活で頑張ってでいいのだろうか?

早く、完全自動運転にならないかなぁ。

 

愚痴1

今日の教職の講義で、TATテストの解答を発表することになった。

絵としては、子どもが読書をして、男性が子どもの肩に手を乗せている状況だった。

この男性は誘拐犯で…と言いだしたところ、面白くないと教授が言い出した。

その後、結末まで話すことになり、人質の少年が…と言ったら、女の子だと言い張った。

そして、子どもの性別のアンケートまでとった。

結果は、男の子と判断する人は少数だった。

画像が粗いからそこまで判断ができないし、イギリスなどのかわいい男の子だと自分は考えた。

そして、TATテストは性格診断であり、被験者の発想力を試すものであるはずが、なぜこんなに否定をされる必要があるのだろう…

 

 

 

いじめについて

警告

ここから少し、いじめについて肯定する発言が出てきます。

見たくない方は、中断してください。

教員になった時、必要だと思ったので、書きました。

 

 

 

 

 

 

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心理学の講義で、いじめについて学んだ。

教員を目指している自分にとっては、もう少し学んで見たいと感じた。

いじめの定義が、被害者が苦痛と感じたことであることには納得した。

また、いじめをする原因がたくさんあることを知った。

 

しかし、なぜいじめはダメなんだろう?

加害者の自己を守るためには必要だった行動であっただろう。

また、日頃の鬱憤晴らしの行動であっただろう。

いじめによる負の影響が大きいからだろうか?

では、AさんがBさんにいじめをしたとする。内容は暴力としよう。

前提としては、

Aさんは、家庭環境が悪く親の愛情を受けてこなく、学年順位で最下位

Bさんは、学力はあるが運動が苦手としよう

結果として

Aさんについて

1,亡くなる

2,悔む 反省

3,反省して社会に貢献する

Bさんについて

1,亡くなる

2,人間不信 引きこもり

3,これをバネに生活する

自分としては、この可能性を考えた。

負の面もあったが、良い結果をもたらしたものもあった。

だから、なぜいじめはダメなんだろう?

 

さて、教員になった時、自分はどのような対応をするべきなのか?

1、Bさんから相談を受けた時

被害者を守るべきか?加害者も守るべきか?

両方とも、罰を与えるのか?

また、どのように?

2、Bさんの亡くなった原因がいじめだった時

加害者を守るべきか?

全員を対象に調査するべきなのか?

 

いじめは、人間が起こすので手引き通りにならない。そして、臨機応変にならないといけない。対応によってできる結果の可能性はたくさんあるが、実際になる結果は1つだけ。

自分はどうするべきか?

意見をください。